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1876年(明治9年)に「打上小学校」として創立。数回の改組・改称を経て2005年(平成17年)に現校名となった。2021年(令和3年)に創立145周年を迎える。校章桜の花弁の絵を背景にして、中央に校名「打上」(縦書き)を配したデザインとなっている。通学区域住所表記で唐津市鎮西町の後に「打上、横竹、石室、加倉、高野、岩野、八床、菖蒲、早田、野元(鬼木地区の一部)、塩鶴、赤木、中野、丸田」が続く地域。中学校区は唐津市立海青中学校(海青の読みは「かいせい」)。
沿革
前史(旧・打上小学校)
1876年(明治9年)8月5日 - 打上村字長谷 寺の後に「打上小学校」が創立。首席は北村治郎作。
当初通学区域を打上・横竹・石室・加倉・菖蒲・塩鶴・赤木・中野・丸田の8村とする。
年月は不詳だが、2回校舎の移転を行っている。1回目は打上村字長谷 ツチナシ、2回目は同字 タチバナケ。
1881年(明治14年)8月 - 赤木小学校の創立により、赤木・塩鶴・丸田・中野地区の児童を移管。また、名古屋小学校 石室分校の設置により、石室地区の児童を移管。
1885年(明治18年)- 統合により「公立中等呼子小学校 赤木分校 打上分教場」となる。
1886年(明治19年)5月1日 - 「尋常呼子小学校 打上分校」に改称。
1892年(明治25年)4月 - 呼子小学校より分離の上、「打上尋常小学校」として独立。尋常名古屋小学校より石室分教場が移管され、岩室分校とする。
前史(旧・赤木小学校)
1881年(明治14年)8月14日 - 赤木村字宿32番地に「長崎県東松浦郡呼子学区積善小学校」が開校。創立当時は民家を校舎に充てる。
当初通学区域を赤木・塩鶴・丸田・中野・屋形石・中里・横野の7村とする。
1883年(明治16年)10月12日 - 長崎県から佐賀県が分離したため、「佐賀県東松浦郡呼子学区積善小学校」に改称。
1884年(明治17年)11月 - 木造新校舎が完成。
1885年(明治18年)5月 - 統合により「第五番区中等呼子小学校 赤木分校」となる。
1892年(明治25年)4月 - 呼子小学校より分離の上、「赤木尋常小学校」として独立。
前史(旧・岩野小学校)
1881年(明治14年)8月 - 菖蒲村字菖蒲に「呼子小学校 菖蒲分校」が設置される。通学区域を菖蒲・加倉・高野・岩野の4村とする。
東松浦郡 枝去木村から馬部・山道・枝去木・野中・石原の5字に関して尋常科児童収容の委託を受ける。
1884年(明治17年)11月 - 岩野村字平16番地に移転の上、「中等呼子小学校 岩野分校」に改称。 通学区域に八床が加わる。
1886年(明治19年)5月 - 移管により、「尋常黒崎小学校 岩野分校」に改称。
1888年(明治21年)2月 - 移管により、「尋常呼子小学校 岩野分校」に改称。
1892年(明治25年)4月 - 呼子小学校より分離の上、「岩野尋常小学校」として独立。
統合
1908年(明治41年)4月1日 - 赤木尋常小学校と岩野尋常小学校の2校を統合し、高等科(2年制)を設置した上で「打上尋常高等小学校」に改称。赤木分教場を設置。呼子尋常高等小学校への高等科児童の委託を終了。
1909年(明治42年)3月 - 現在地に校舎が完成し移転を完了。同時期に赤木分教場および石室分教場の校舎も完成。
1916年(大正5年)3月 - 打上農業補習学校を併設。
1926年(大正15年)4月1日 - 併設の打上青年訓練所充当打上農業補習学校を「打上公民学校」に改称。
1929年(昭和4年)11月 - 校旗を新調。
1931年(昭和6年)6月 - 講堂が完成。
1932年(昭和7年)- 学校実習地を設置。
1933年(昭和8年)- 畑と山林を購入。農園が完成し、記念として勤労碑を設置。
1935年(昭和10年)4月 - 青年学校令の施行により、併設の打上公民学校が「打上村立農業青年学校」となる。
1936年(昭和11年)11月 - 石室分校1教室を増設。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「打上国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
1943年(昭和18年)12月 - 新校舎が完成。青年学校が国民学校の1教室を使用。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、打上国民学校の初等科は「打上村立打上小学校」に改組される。
打上国民学校高等科および打上高等実業青年学校が改組され、新制中学校「打上村立打上中学校」が発足。小学校に併設される。
1949年(昭和24年)3月 - 赤木分校、1教室を増設。
1956年(昭和31年)9月30日 - 町村合併により、「鎮西町立打上小学校」に改称。
1961年(昭和36年)1月 - 赤木分校の校舎が完成。
1963年(昭和38年)5月 - 校舎の大修理を実施。
1969年(昭和44年)4月 - 校門を新設。
1971年(昭和46年)
2月 - 石室分校の新校舎が完成。
12月 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成。
1972年(昭和47年)- 赤木分校の体育室が完成。本校運動場を拡張。
1977年(昭和52年)- 創立100周年記念行事を挙行。校旗と校歌を制定。
1978年(昭和53年)2月 - 石室分校の体育館が完成。
1979年(昭和54年)4月 - 体育館が完成。
1981年(昭和56年)4月 - 特殊学級を再設置。
1982年(昭和57年)3月 - 赤木分校の体育館が完成。
1988年(昭和63年)12月 - 校舎を改築。
1990年(平成2年)12月 - 赤木分校の新校舎が完成。
1991年(平成3年)- 赤木分校の運動場を拡張。赤木分校のプールが完成。
2006年(平成8年)6月13日 - 学校給食を開始。
2009年(平成11年)3月 - 校門を移転。
2002年(平成14年)3月31日 - 石室分校を廃止。
石室分校 最終所在地 - 〒847-0327 佐賀県東松浦郡(現・唐津市)鎮西町石室1301-1
2005年(平成17年)1月1日 - 鎮西町が唐津市と合併したことにより、「唐津市立打上小学校」(現校名)に改称。
2008年(平成20年)
4月1日 - 通学区域選択制度が施行され、横竹・赤木分校地区児童の呼子小学校への通学が可能となる。
12月 - パソコン室を設置。
2009年(平成21年)4月1日 - 通学選択制度の弾力的運用により、赤木分校地区児童の本校への通学選択が可能となる。
2010年(平成22年)3月31日 - 赤木分校を廃止。
赤木分校 最終所在地 - 〒847-0312 佐賀県唐津市鎮西町赤木3192-1
2011年(平成23年)から2012年(平成24年)にかけて - 耐震工事を完了。
2013年(平成25年)4月1日 - 中学校の統廃合により、打上中学校が廃止され、中学校区が唐津市立海青中学校に変更となる。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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唐津市立打上小学校がある
佐賀県唐津市の地域事情