例)音楽室のベートーヴェンは夜動くそうです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白怪談: | 靴から目を離した一瞬で違う場所に移動していた |
怪談: | 理科室にある人体模型が夜になったら勝手に動き出し校内をライオンの様に走っていて夜学校に行ったら人体模型に呪われる |
怪談: | たすけて |
怪談: | 理科室にあった人間の模型は真夜中になると校内を歩いていたソウデス。 |
怪談: | 夏休みの夜のある日にみんなで学校に集まってバーベキューとともに肝試しをしたのでゾッとしました。 |
怪談: | 図工室と家庭科室の横にある階段は、なかが空洞になっています。 |
怪談: | 私は七砂の卒業生です。七砂では楽しい6年間を送らせていただきました。今から話すことは私が2年生の頃に2階の図工室の前のトイレであった怖い体験です。私は当時2年3組で図工室前のトイレを使うことが多かったです。ある日友達のrとaと私の3人でトイレに行った時入って左側の鏡に近い方のトイレの扉が閉まっていました。その当時私は誰か入っているんだろうなぐらいに思っていました。そしてrとaのトイレを待っていた時におかしなことに気が付きました。その閉じていたトイレの鍵が開いていることに気づきました。皆さん知っての通り七砂のトイレのドアは鍵が閉まっていなかったらドアは開く仕組みになっています。なのに扉が閉まっていることはおかしいです。そこでトイレから出てきたrとaに言ったところ私に開けてみてよと言いました。怖かったけど好奇心が勝った私は足でそっと扉を開けました。すると中には誰もいませんでした。私たちは怖くなり走って教室へ戻りました。6年生の頃すっかりその事を忘れていた私は図工室前のトイレを使ってしまいました。トイレに入って用を済まして出た時にまた、そこのトイレが閉まっていることに気づきました。同じクラスの子がいるんだろうなと感じて誰ー?と聞きました。すると返事はなく、少し私は心配になりました。なのでノックをしながら話しかけたところノックだけ返ってきました。 |
怪談: | トイレにキンちゃん、モンちゃんがいる。母親に聞くと、学校建築中に亡くなった方の名前ではなやろか? |
怪談: | 閉じ込められる |
怪談: | 私が入学した頃は木造の校舎だけでしたが、4年生のころ鉄筋の校舎ができました。3階建てでしたが、なぜか4階へとつづくような壁で塞がれていて入れない階段室がありました。ある日クラスで屋上へ行くことがありました。その時、ある友人が屋上の塀を乗り越えて窓が開いていたその階段室へと入りました。一歩間違えば転落する危険がありましたが、彼は無事生還し中の様子を話してくれました。そこには小さな机が一つあり、そのうえに線香立がおいてあったそうです。噂では工事中転落死した人がいて、4階建てにするところを3階建てに変更になったとのことでした。 |
卒業式: | 教頭先生が全く知らない卒業生達の名前を、卒業証書を見ながら呼んだ。だから読み方を間違えられた子もいた。 |
理科室: | 部屋の掃除を手伝った褒美に磁石をもらった時は嬉しかった。 |
下駄箱: | 傘立て |
校庭: | 僕たちが産まれた頃には既に廃校となり、校庭はゲートボール場と化していた。高校生まで成長した僕たちは、夜な夜な原付を走らせ山口分校へ行った。そこで見た星空は一生忘れることはないだろう。 |
給食: | 牛乳瓶のふたを集めるためとなりのクラスまでもらいに行ったな。 |
校庭: | 小一の三学期に広島県へ転校した者です。これを見てくれる人がいるといいな(多分無理かなw)家に帰らず放課後の校庭で遊べましたね。クラス別に割り振られてたっけな。よく遊んでた思い出があります……。 |
音楽室: | 楽器が、たくさんあり、演奏しやすい |
教室: | 昭和28年ごろで5年生だったと思うが、担任はお姉さんのような美しい溝口先生だった。 教室は8人程度の班に分けていた。当時教室は50人弱程度いたから6班程度があったと思う。国語の本を班ごとに読ませ、読み間違ったら次の人が読むというやり方で、各班にどのくらいの行を読むことが出来たかを競争をさせ、一番負けた班がその日の教室掃除を担当することになっていた。当時花菱アチャコや横山エンタツという喜劇スターがいてよくアジャーパーなんて言葉がはやっていた。 読み間違えるとアチャー!やアジャーパー!なんて言って他の人を笑わせたりしたものです。このころ今ではフウテンの寅さんの言葉で有名だが、女子には俺をー君ではなく、オイチャンと呼べと言って笑わせていた人もいた。また先甲府に重病の女の子が手術を受けるお金が足りないという新聞記事があり、先生の提案があったと思うが、皆で話し合って、その子を応援するために新聞紙などで袋を作ってお店に行ってそれを買ってもらったり、遠くの山に行って柏の葉っぱを取ってきて店に買ってもらったり、小遣いを出し合ったりしてお金を作り、甲府送ったという思い出があります。当時これはこの組にいた女子にお父さんが新聞記者をしていた人もいたためか山梨の新聞にも載り、皆で喜びあった記憶があります。それは、それは、溝口先生のお陰であるのですが、まとまりのある素晴らしいクラスでした。先生も皆様も今なお、お元気であればよいのですが。 |
図書室: | 「フランダースの猫」という本があったように思います |
飼育小屋: | 夏休みや連休の時に、ウサギにエサをやる「ウサギ係」になった事あったけど、可愛かった。 |